おもひでぽろぽろ

家族の僕から見ても、父は変わった人だと思う。

離れて暮らす今は長期の休みくらいしか会わないし、しかもそんなに話す訳でもない。

意固地で頑固、ある意味昭和のオヤジのステレオタイプな感じはあったかもしれない。

父変わってるエピソードを挙げていこう。

まず機械オンチであった。しかもオンチなだけならいいが、わからないと機械に当りだす。

「なんだこれはぁ!!」

いや、なんだこれはじゃないよ、父さん・・・ビデオデッキだよ。

家電に当たり散らす父をなだめて説明書を見ながら配線をするのは僕の役目だった。

たしかに昔のビデオデッキの配線とか複雑だったし説明書もわかりづらかったけどさ・・・ビデオデッキにいくら怒鳴っても何も解決しないよ・・・

そしてやたら動物・自然が好きであった。

父はコンクリートジャングルの企業戦士として日夜働き、癒しを自然界で悠々と生きる動物達の中に見いだしたのかもしれなかった。

自然や動物のドキュメンタリーを(僕が配線した)ビデオに録画してはしょっちゅう見ていた。

特に柳生博さんがナレーションを担当していた「生きもの地球紀行」は父のお気に入りだった。

町田でマンションに住んでいた時は平日夜でも父と弟と三人で蛍光灯に群がる昆虫を捕獲しにいった。 当時10階に住んでいたので10階から一階ずつ降りていって昆虫を捕まえていくのだ。

夜中に蛍光灯に群がる昆虫なんてろくなのがいない。多分蛾とかカナブンとか?何を目当てにしてたのか記憶にないがやたらそれが楽しみだった。 そして昆虫採集を一番楽しみにしていたのが父だった。

今でも記憶に鮮明に刻まれている出来事はある夏の夜に起こった。

父に連れられて夏祭りの縁日に出掛けたのだ。 商店街にたくさんの夜店が出店していてその中に夏の風物詩とも言えるものがあった。

そう、「金魚すくい」だ。

「おっ、masakuroy、金魚すくいがあるぞ! よし父さんがたくさんとってやるぞ〜」

そういって父は網と器を持って金魚すくいを始めた。

順調に父は金魚をすくい挙げていき、上機嫌だった。 「ほら見ろmasakuroy、たくさんとれるぞ〜!ハハハ」

その時出店のお兄さんがいった。 「金魚はひとり3匹まででお願いしまーす」

父の動きがぴたりととまり、お兄さんを凝視して「なんで・・?」と小さな声でいった。

その直後、周りの人が飛び上がるような大声で「なんでーーーーー!!!!」と叫びだしたのだ。

僕は父がなぜそんなに怒りだしたのかわからなかった。金魚が3匹しか捕れないことに何の問題があるのか10歳やそこらの僕の脳みそでは理解するのは難しかった。・・・・・いや、今でもわからないわ。

「どうしたの!?お父さん!! 僕そんなに金魚ほしくないよ!!」僕はほぼ泣きそうだった。

楽しい夏祭りを変な雰囲気にし、我々はその場を立ち去ったのは言うまでもない。

父は電話の取り次ぎもなんかおかしかった。 昔は携帯が普及してなかったので、友達から家電に電話がかかってきてたのだが、土日に父が電話に出るといきなり「masakuroyーーー!!!」と大声で叫びだすのだ。しかも声に迫力があって怖い。

いや、そんな大声じゃなくても聞こえるよ! てか保留押せよ!! 友達驚くだろが!!

・・と常々思っていたものだ。

そのうち僕も大学生となり、父の本棚から勝手に本を拝借しては読んだりしていた。

「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和」などの名作を取り出しては読みふけったりしていたものだ。

ある日いつものように父の本棚から本を探していると経済書や名作小説に交じって一冊表紙カバーが裏返してある本があった。

「ん?・・・なんだこれ」 おもむろにカバーをとってみた。

 

岩谷テンホーの「みこすり半劇場」だった。

 

・・・岩谷テンホーかよ!! つか中途半端にカバー裏返して隠したりすんなよ!! 逆に恥ずかしいわ!!

その後ちょっと読んだ後そっとカバーを裏返し本棚に元通りに戻したのであった。

 

父との心温まるエピソードには枚挙にいとまがない。

そんな僕も徐々に当時の父の年齢に近づきつつある。

父は変ではあったが、真っすぐで不器用な性格でもあったのかもしれない。

よく子供と遊び、面倒もみてくれたし休みはご飯も作ってくれたりしていた。

自分が将来そんな父親になれるかと思うと、自信もないし何より全く家庭を持つ予定もない。

世の中のお父さんは偉大だし、頑張っているなぁと思う。

いつか父と酒でも飲みながらこんな昔の話をしてみたいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

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