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    映画界の若きカリスマ グザヴィエ・ドランの世界観にハマれ

    こんばんは。 masakuroyです。

    最近映画をよく見るのですが、ある映画監督にハマっている。

    その映画監督の名はグザヴィエ・ドラン。

    出典:グザヴィエ・ドランがかっこよすぎる【画像集】https://matome.naver.jp/odai/2141602028428109501

    出典:naverまとめ

    カナダ出身なのだが、なんと1989年生まれの若干27歳

    19歳で撮った初監督作品がカンヌ映画祭に出品され、既に6本も映画を撮っている。

    しかも撮った作品全て映画界から絶賛されており、最新作で現在上映中の「たかが世界の終わり」はなんとカンヌ国際映画祭のグラン・プリを受賞した。

     

    この人がすごすぎるのは監督だけではなく脚本・主演・衣装監修まで手掛けてしまうことだ。

    映画界待望の「エキサイティングな新世代の監督」としてもっとも注目を集めていると行っても過言ではないだろう。

     

    私はまだ3作品しか観ていないのだが、全てが傑作だった。

    いい映画を見た後は幸せな余韻に浸れるものだが、そう言った意味で期待を裏切られることはなかった。

    これから他の作品を見ていくのが楽しみである。

     

    ドラン映画の特徴を3つあげてみたい。

    まず「愛と憎しみ」

    登場人物はみんなそれぞれに自己主張し、真正面から他者とぶつかり合う。

    しかしわかりあいたいと思っているのに、なかなかわかりあえない。

    愛と憎しみは表裏一体であり、登場人物はその間を行き来して関係性を構築していく。

     

    人と人とのつながり・距離感に徹底的にこだわって、丁寧に描写していらっしゃる。

     

    2つめは「映像美」。

    ドラン映画では映像の美しさを感じるシーンが多いが、一つ一つのカットに非常にこだわっている。

    古典的な名作映画へのオマージュのようなカットも多く見られ、光の使い方がとても印象的だ。

    FacebookやinstagramなどSNSが身近にあった世代の映像感覚がドラン作品に多大な影響をもたらしているのは、間違い無いだろう。

     

    3つめは「音楽」。

    これは2つめとも関連するのだが、劇中の音楽の使い方にドランのセンスが遺憾なく発揮されていると思う。

    映画の中の印象的なシーンでは必ず歌が流れるのだ。

    それはまるでミュージックビデオのようでもあるのだが、映画の中にそう言ったシーンを自然に盛り込んでくるのが、さすが若い監督の新しい表現手法だと感嘆した。

    この歌が非常に印象的であり、映画を見終わった後でもそのシーンと後々思い出してしまい、ふと聴きたくなってしまう。

    まさにドランマジックであろう。

     

    それでは観た作品の感想を端的に述べていきたい。

    まず最初に見たのが公開中の「たかが世界の終わり」。

    出典:映画.com

    余談だが、私はこの手の宣伝ポスターに弱く、一瞬で魅力を感じて「観たい」と思ってしまった。

    これがきっかけでドランを知ったようなものである。

    こういった映画自体の繊細さを感じさせるビジュアルに本当最近惹かれてしまう・・。

    映画は自分がもうすぐ死ぬということを知らせに12年ぶりに主人公が実家に戻る、という話。

    この映画は終始家族の会話劇に終始する。

    派手な演出や事件は何も起こらない。

    淡々とカメラは人物のアップを映し出していく。

    そして、主人公が初めて家族に自分の秘密を告白をしようとする時、どうなるのか。・・・

     

     

     

    このかなり異色な作品に対してャスパー・ウリエルレア・セドゥーマリオン・コティヤールヴァンサン・カッセルとフランスのスター俳優をこれだけキャスティングできるあたり、ドランが今映画界で最も注目を集める存在であり、俳優から一緒に仕事をしたいと思われている存在であることの証明であろう。

    前述したがこの作品は今年のカンヌ国際映画祭グラン・プリを受賞した。

    映像表現・演出の新しさにこの手の映画に慣れていない人は戸惑うかもしれない。

    しかし間違いなくこれからの映画の未来を燦然と照らす幕開け的作品であるのは疑いようのない事実である。

    ネタが枯渇し、リメイクや外国語作品の映画化など衰退の兆候が見えるアメリカ・ハリウッドの映画界とは全く異なるアプローチで斬新な映画を撮り続けるドランはイノベーターであり、ゲームチェンジャーでもある。

     

    この映画のエンドロールではMobyNatural Bluesが流れる。

    この選曲センスが憎い。 素晴らしすぎる。

    映画を見終わった後、何度脳裏にこのNatural Bluesと映画のシーンがリフレインしたことか。

     

     

    2作目に観たのが傑作の誉れ高い「Mommy/マミー」。

    出典:Wikipedia

    この映画は一時期かなり話題になったので、ビジュアルに見覚えのある人も多いのではないだろうか。

    架空のカナダが作品の舞台になっており、その世界では経済・精神的に困窮した母親は法的な手続きなしに発達障害児の養育を放棄し、施設に入院させることが可能になっている。

    そんな環境下でのシングルマザー・ダイアンと、ADHDの息子・スティーブ・隣人のカイラの物語である。

    この映画の最大の特徴は画面の縦横比率がなんと1:1であることだ。

    映像はまるでFacebookなどのSNSに投稿された動画を思い起こさせる。

    この手法の効果は、まるで家族のプライベートな映像を見ているようで、よりその登場人物の世界観に入り込むことを助けてくれている。

    今は4Dなど色々と面白い仕掛けがある映画もある中、非常に革新的かつ面白いアイデアだ。

     

    Mommyは有名な俳優が出ている映画ではない。

    しかしストーリー・演出・映像・音楽全てが完璧に”映画”である。

     

    私もそこまで映画フリークなわけでないが、ここまで完成度の高い映画は久しぶりに観た。

    困難な状況に追い込まれてもたくましく、明るく生きるダイアンとスティーブの親子。

    (余談だがスティーブはなんとなく香取慎吾に似ている。顔がすごい似ているというわけでないんだけれども。)

    ADHDであるスティーブは、母親思いの純粋で優しい子供なのだが、ひょんなことから感情のコントロールができなくなり異常な暴力性が顔を出す。

    その豹変ぶりに手を焼き、心が折れそうになっていたダイアンに救いの手を差し伸べる隣人のカイラ。 しかし彼女もある問題を抱えていて・・・

     

    ドラン映画では2者あるいは3者間の交流がこれでもかというくらい徹底的に掘り下げて描かれる

    ベーシックな「母と子」の関係を、ドランは執拗に映画のテーマに取り上げている。

    それだけ彼の中では永遠のテーマであることが明確なのだろう。

    ダイアンとスティーブはお互いを唯一の家族として思いあっているのだが、愛情は必ずしも正確に伝わらず行き違ったりお互いイライラしてしまう。 そんな二人の間にカイラが入ることによって関係性の潤滑剤として機能し、カイラを含めた3人の関係は非常に円滑に回り始める。

    カイラが自分の家族よりも彼らといるときの方が自分らしく生き生きと過ごせているように描かれているのは、ある意味皮肉でもある。

    この映画でも音楽は重要なエッセンスになってる。

    特にスティーブの心象風景を描くシーンで挿入されるCounting crowsColorblindは最高すぎる。

    映画を見終わった後で購入しエンドレスリピートしてしまったことは想像に難くない。

     

    映画の設定になっている架空の養育権放棄法案は、この親子にどのような選択を迫るのか。

    愛を選ぶか、希望を選ぶか。

    この映画を観て、あなたは何が正しいと思うだろうか。

    観た人に家族とは何か?愛とは何か?を考えるきっかけを与える映画である。

     

    3作目が「トム・アット・ザ・ファーム」。

    まるで「シャイニング」のジャック・ニコルソンを連想させるようなビジュアルが衝撃的なサイコサスペンス。

    ドランが監督・脚本・編集・衣装まで手がけた本作は現代カナダを代表する劇作家の戯曲を映画化したものだが、毛色が違ったジャンルでも人を唸らせる作品が撮れるということで、ドランはその才能の幅広さを見せつけた。

    ベネチア国際映画祭で国際批評家連盟賞を受賞している。

     

    この映画も非常に革新的であると思っているのは、ただのサスペンスではなく、映像が非常にオシャレで美しい点だ。

    例えるならサスペンス×エスプリの効いた古典フランス映画であろう。

    映画が始まって最初の1シーンだけで舌をまく。これは古典フランス映画だと!

     

    モントリオールに住む青年トムが恋人の葬儀に出席するために彼の実家の農場を訪れる。

    そこで会った恋人の家族に翻弄されていくという筋書きなのだが、少々複雑な事情が存在する。

    主人公のトムはゲイであり、その恋人ももちろん男である。

    しかし恋人の母親は息子がゲイだと知らず、トムも友人の一人だと思い込んでいる。

    恋人の兄フランシスは弟とトムが恋人同士だと知っており、母親を悲しませないようにトムに息子と架空の彼女との思い出をでっち上げるように強要するのだ。

    暴力的で支配的なフランシスに怯えながらもいつしか恋人の影を見たトムは、その支配に服従するようになっていくー。

     

    自身もゲイであることをカミングアウトしているドランにとって、セクシャル・マイノリティーも彼の作品の重要なテーマになっている。

    トムは自分との関係を家族に明かされていなかったことにショックを受けるが保守的なカナダの田舎の人々(偏屈な母親と暴力的なフランシス)とトムとの関係が対比的に描かれる。

    保守的で美しく、そして退屈な農場の風景はいつしか世界から置き去りにされた監獄のように映る。

    暴力と支配に屈し、牛の世話をするうちにトムは正常な感覚を失っていく。

    そんな折、ある出来事をきっかけに状況は一変するー。

     

    ドラン映画の特徴である映像の美しさが閉鎖的な環境とも相まって遺憾なく発揮されているのが本作だと思う。

    少しロックスター然として、グランジを想起させるトムのファッションは見ていて非常にオシャレである。 農場の風景とのアンマッチがまた面白い。

    またカナダの10月の乾いた空気感を表現した光の描写がとても美しい。

    部屋の白壁に差し込む自然光で撮影したようなカットが取りわけ印象的だった。

    長尺ではあるが終始緊張感が漂う演出に、先の展開が気になるし飽きさせない。

    このシリアスな世界観は例えるならジョニーデップの「シークレット・ウィンドウ」やニコール・キッドマンの「ドッグヴィル」か。

     

    いかがだっただろうか。 これから私は「マイ・マザー」「胸騒ぎの恋人」「私はロランス」を見てみようと思っている。

    もし気が向けばドラン作品を見てみてほしい。 そして感想をシェア出来たら嬉しく思う。

    新しく美しい才能の萌芽に、万雷の拍手を添えてー。

     

    Fin.