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  • ビバ・ラ・レヴォリューション

    ビバ・ラ・レヴォリューション

    ※このブログには一部不適切と思われる記述があります。 不快な気分になられる方がおりましたら申し訳ございません。 小学生以下の児童の閲覧は推奨されません。

     

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    前回のブログで僕はひとり上手(むしろひとりにならざるをえない)であるという話をしたが、学生時代にはひとり語学研修に行った。

    大学に入った当初は高い意識を持っており、大学では英語を勉強しよう!と思っていた。

    語学は少人数のディスカッションクラスをとっていたし、必修以外の授業もとったりしていた。

    なぜかロシア語の授業をとるという迷走を見せたが我にかえり、期末テスト前に離脱した。

    また中国語の必修以外の授業もとっていたがなんとそのクラスは2人しか履修していなかった。

    僕ともうひとりは女の子だった。

    広いクラスにふたりっきり、そんなこれ以上ないおいしいシチュエーションだったにもかかわらず僕はその子に一度も話しかけなかった。 本当に当時の自分の度を超したコミュ障(当時はこんな言葉はなかった)ぷりを呪った。

    語学クラスは今思えばパラダイスだった。少人数だし打ち上げとかがあれば自然と女子とも仲良くなれるではないか!

    しかしあろうことは僕は履修していた英語ディスカッションクラスの最終授業を終えた後、教授(アメリカ人)主催の打ち上げパーティに参加しなかったのだ。

    理由は今もってしても不明である。バイトとか予定はなかったはずだが要はコミュ障だったのだ。

    その後、大部屋の授業で同じディスカッションクラスをとってたやつ(打ち上げに行ったと思われる)がそのクラスで一番可愛かった女の子(当然打ち上げに行ったと思われる)と楽しそうに話してるのを見ておもわず歯がみしたものだ。

    く、くそーーっ!! 俺も打ち上げさえ出てりゃあ・・・打ち上げさえ出てりゃあーーー!!

     

    前置きが長くなったが、語学習得の意欲は高かったのと、学生時代しか出来ないことを積極的にやろう!と思っていたので春休み・夏休み等の長期休暇を利用して、せっせとバイトして貯めた金と奨学金(と親に借りた金)を使って1ヶ月ひとりで語学研修にいったのだ。

    大学1年の春にカナダに1ヶ月行き、コツをつかんだ僕は大都会に行きたい!と思ったのとロック好きの影響からイギリス文化に興味を持っていたので、ロンドンに一ヶ月ホームステイして語学学校に通う事にしたのだ。

    そのうちエージェンシーから来たホームステイ先の家族情報を見て僕は目を疑った。

    名字がBuchananと書いてあった。

    え・・・?これなんて読むの?何人? どこから来た人?

    などと大変失礼な感想を持っていたのだが(僕も人のこと言えた名字じゃない)、調べてみると スコットランド起源の伝統的な名字だったので安心した。

    このご家族はシングルマザーと娘と犬という家族構成だった。

    カナダの時のホストファミリーが結構ビジネスライク(笑)でちょっと残念だった想いがあったのだが、このブキャナンさん家族は本当にあたたかくよくしてくれた。

    母親アンヌさん(仮名)は面倒見のいい肝っ玉母さんという感じで、よく笑い話す人だった。元々はフランスの生まれで移住してきたらしかったが、もしかしたら名字だけは旦那さんの旧姓を使っていたのかもしれない。

    そして娘エマ(仮名)ちゃんは15歳で中学3年生くらいだったけどとびきり可愛かったんだわ。もうこの世の奇跡かと思うくらいの美しさで早速惚れちゃいましてね。テイラー・スウィフトをもっと優しそうな顔にして若干幼さの残る感じでしたね。ひとつ屋根の下だよ。そりゃ惚れちゃうよね。(当時僕も20歳だったし、外人は大人っぽいから決してヤバくはなかった・・・はず。・・・何もしてませんよ!)

    僕はおそらくいつも留学生が使っていると思われる一室をあてがわれた。

    長旅で持ってきた荷物の荷解きをしている時にいきなりケータイ(当時僕はボーダフォンのPANTONEの真っ青な色のやつを使っていて、ドラえフォンと呼ばれていた。どうでもいいね)が鳴った。

    それは同じサークルの友人Sからだった。

    彼には海外に一ヶ月滞在することも伝えていたし、わざわざ国際電話でかけてくるなんてよっぽどの事があったのか?と思い僕はすぐに電話に出た。

    「もしもし? いま俺ロンドンだよ! どうしたの?」

     

    「おお・・・masakuroyか、・・・俺、・・留年したわww」

     

    どうやら日本では進級発表の通知書が届いたらしかった。

    その通知に「原級」と書いてあり意味がわからなかったSは調べてみた結果どうやら留年らしいという事を知ったようだった。

    僕は彼を気の毒に思った。やり場のない思いをどこかにぶつけたかったのかもしれない。

    ただ、ロンドンに降り立ちホストファミリーに挨拶をし、緊張のピークだった当時の僕にとってその情報はその時あまり重要ではなかった。僕は静かに通話終了ボタンを押しドラえフォンを机に置いた。

    語学研修中の思い出は挙げればキリがない。 学校の授業、ハンガリー人・イラン人・同じ日本人の友達との交流、 学校の先生がやってたロックバンドのライブ、フィッシュ&チップス、街角のパブ、ワンパイントのギネスビール、ピカデリーサーカス、切り裂きジャックナイトツアー、ロンドン塔、ロンドンブリッジ、ウィンザー城、オックスフォード大学、エディンバラ旧市街、アビーロードスタジオ・・・あげればキリがない。

    そして僕は先生に頼んで授業を2日ほど欠席させてもらい、ユーロスターを使ってヨーロッパ周遊に行った。 パリ→ブリュッセル→ケルンと回るルートだった。

    その旅行は楽しいものになるはずだった。

    しかし、僕は花の都・パリで大きな過ちを犯してしまったのだ。

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    パリに来たら僕は絶対に行きたい場所があった。 それはルーブル美術館だ。

    ミロのヴィーナス、ダヴィンチのモナリザ、スポーツブランドNIKEの由来になったサモトラケのニケ像という最高峰の価値を持つ美術品が収蔵されている世界で一番有名な美術館だ。

    僕は美しい絵画・銅像、膨大な数の作品群と館内の広さ、また古代文明遺跡から持ち込まれた貴重な遺品の数々を見て圧倒された。

    僕はまばゆいばかりの美を堪能し、またギャラリーの美しい女性達にも魅了されたのか、少しばかり正気を失ってしまったらしかった。

    なぜ僕がその時そんな行動に出たのか全くわからない。今考えても理解できないのだが、僕はルーブル美術館のトイレの個室で●ナニ●をしようとしてしまったのだ。

    ルーブル美術館のトイレの個室でだ。 実家のトイレや百歩譲って居酒屋のトイレなどでもない。

    ルーブル美術館の個室トイレでだ。

    よく遺跡に落書きをしてニュースになる人がいるが、そんな比ではない。

    全ての美術・芸術に対する冒涜とも受け取られかねない行動である。インターポールが動くレベルだ。

    ある意味フランス革命である。

     

    大天使ミカエルが頭上に光臨し、意識が薄らいできていた(イキそうになっていた)時、トイレに人が入ってきた。

    若い男が用を足しながら談笑しているのを聞いて疑心暗鬼になった僕は「おいトニー、なんか海鮮臭くねぇか? 誰か個室で●ナニ●してるやつでもいるんじゃねぇか?ww ププーwww」

    とでも言っているのでないかと恐れおののいた。

    「昨日、フランスのルーブル美術館で日本人の大学生(20)がトイレで淫らな行動におよんだとし、パリ警察当局に身柄を拘束されました・・・」というニューステロップの映像が頭をよぎり、僕はすんでの所で思いとどまった。

     

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    僕は何食わぬ顔をしてルーブル美術館を後にした。

    ルーブルにはあの有名なドラクロワの「民衆を導く自由の女神」が飾られている。

    胸のはだけた女性がフランスの国旗を持ちながら、革命の徒を先導する絵だ。

    僕はあの時、あの絵の中の革命を志す民衆のひとりだったのだ。

    いわゆる一つの革命を起こしてしまうところだった。

    本当に思いとどまってよかったと思っている。

    理想(使用済みトイペ)のために無駄な血(水)を流す必要などなかったのだ。

    こうして僕はパリの美しい風景を心に刻み込んで、次の目的地へ向かう列車に乗り込んだのだった。

     

    ※本当にすいませんでした 下品きわまりない話で本当に申し訳ありません

    要は何もやっていませんという話です

    ルーブル美術館は素晴らしかったです。またいつか必ず見に行きたいと思います。

    Fin