子育てという名の荒野

こんにちは、masakuroyです。

まだ子育てという名の荒野に足を踏み入れて2ヶ月も経たないが既にその過酷さが骨身に染み込んでいる。

24時間365日休みはなく、常に赤ん坊様の身辺のお世話に身をやつしている。

しかも子育てという事業の共同経営者の奥さんに平日はほとんど任せきりの状態なので休日はその分を取りかえさないといけないとその地位を追われてしまう。

休日にもしかしたら本業よりも過酷な労働が待ち受けているのだ。

奥さんと比べて圧倒的に経験値と先々を見据えるビジョンが不足している私は頻繁に判断を誤り怒られることもしばしば。

赤ん坊様は日頃仕事で接する人よりはるかに気まぐれで気難しいクライアントだ。

しずかに寝ていたかと思えば烈火のように泣き出し、ミルクもあげておむつを替えても泣き止まず何のニーズが満たされたら満足するのかまるでわかりやしない。

寝てほしいと思ってもなかなか寝ないため寝かしつけようとする。

赤ん坊を抱っこする場合、片手ですわっていない首を押さえ、片手でお尻を持ち体重を支え、更に背中をポンポンと軽く叩かなくてはいけない。この時点でどう考えても手が一本足りないのである。

千手観音様から手を一本拝借したい次第である。

奥さんは手首で赤ちゃんの体重を支えながら背中を手のひらでポンポンするという奥義を体得しているが身体への負担が大きく腱鞘炎になりかかっている。

私も試行錯誤の上、自分の骨盤の上に赤ちゃんのお尻を乗せ体重を支えることで背中をポンポンする秘儀を編み出したが、尋常でなく背中を丸めて支えなくてはいけないので赤ちゃんが寝るのが先か自分の椎間板が砕け散るのが先かの捨身の手段を取らざるを得ない。

そんなの座りながらやればいいじゃんと思ったそこの貴殿、甘い。

赤ちゃんはすこしでもサボると敏感に察知し泣くのである。

必ず立って左右に揺れながら背中ポンポンしなくては納得しない要求レベルが非常に高い人種なのだ。

また3時間毎にミルクをあげなくてはいけないので自分の一日のスケジュールは全て赤ちゃん前提で組み立てなくてはいけない。

さっきミルクをあげたのに気づいたらあっと言う間に次のミルクタイムが来る・・・永久にこのサイクルの繰り返しである。

このサイクルは夜間も同様だ。赤ちゃんには昼も夜も関係なくミルクへのデマンドがあり、確実に応えなければエンドレスギャン泣きという結果で跳ね返ってくる。

こうして夜中の3時だろうが4時だろうが関係なくミルク・母乳をあげなくてはいけないのだ。

そしておむつはとんでもないペースで減っていく。おむつを替えている途中にも赤ん坊様は無情にも追いおしっこや追いうんちを仕掛けてくる。

そんな時は私が何かしましたでしょうかと嘆きが止まらないが来世で救いがある事を信じて汚れを拭き取り新しいおむつを取り出すのだ。

そして赤ん坊のうんちはとても臭い。たまに手につくこともある。そういった悲劇も受け入れて前に進まなくてはいけない。

赤ちゃんは少し力が加わっただけで壊れてしまいそうなくらい体がフワフワなので、常に細心の注意を払わなくてはいけないし、不注意から怪我をしないかと常にハラハラして気を張ってしまう。

また育児が一度始まるとずっと続いていく。

疲れたからもうや〜めた!ということはできないのだ。

時にはこの子が大人になるまでしっかり育てられるのかと不安な気持ちになることもある。

それでも寝ている時の無垢な寝顔や、その疑いを知らないきらきら輝く瞳を見ていると赤ん坊様が持つ無限の可能性と明るい未来に期待を持たずにいられないのだ。

こうして私は今日も荒野のガンマンがごとく赤ちゃんのミルクをせっせと作り続けるのである。

荒野での旅は続いていく。

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