カテゴリー: 人生

  • インターネットの大海を漂う「若さ」という名の残骸たち〜あの日のタイムカプセル〜

    インターネットの大海を漂う「若さ」という名の残骸たち〜あの日のタイムカプセル〜

    先日合コンをした時、なかなか可愛くて話があう子がいたので、後日「今度二人で飲みにいきませんか」とLINEを送ったら、「他に気になる人がいるので…」とあっさり玉砕したmasakuroy29歳です! フォウ!!

    ところで、あなたは小学生くらいの時学校の校庭の庭などに「タイムカプセル」を埋めたことはあるだろうか?

    「10年後に皆で一緒に掘り起こそうね」などと友達と約束をして別れ、皆散り散りになり、結局タイムカプセルは掘り起こされずにずっとあの日の校庭に埋まったまま・・・ということはよくあるのではないだろうか。

    幼い頃の文集やアルバムなど、実家に戻れば読み返すこともあるかもしれないが、それらは基本的に押し入れの奥深くに眠り、滅多に取り出されることはないだろう。

    しかしあなたがインターネットという広大な海に残してきた痕跡は、消えることなく半永久的に、あの日のまますぐに目の前に取り出す事ができる。

    あなたがインターネット上に公開したもの、Facebookのタイムラインや、Twitterのツイート、懐かしいもので言えばmixiの日記などは公開した先から即座に共有され、消したつもりでも痕跡は永遠に残り続けるのだ。

    そうして懐かしい思い出や、消したい過去は残骸と化して無限に広がる仮想空間に漂い続ける。

    それでも特定のキーワードを叩いてリクエストを送れば、すぐにサーバーから呼び出されて再びあなたの前に姿をあらわすのだ。

    今日はあえて自らネット上のタイムカプセルを掘り出してみて、若さゆえの過ちともいうべき過去を棚卸しして、次の場所に向かうための肥やしとしていきたいと思う。

    私は高校時代ラグビー部に所属していたのだが、先輩部員が完全に個人で制作したホームページで「日記リレー」というものをやっていた。

    部員が日記を書いてリレーしていくという、なんとも面白い仕組みだ。

    そこで私が3年生の時に書いた日記を掘り起こしてみたいと思う。

    以下原文(個人名のみ伏せ)

    「こんにちわ。期末の物理のテストで100点満点中15点をとり早くも21世紀最高の未踏地開拓者(エクスプローラー)との呼び声高い三年センターmasakuroyです!幼いころに谷から落ち谷底に強く頭を打ち付けたのが悪かったのか・・・それでサイヤ人としての誇り高いプライドを失ってしまったのか!・・と言ってみたり三年センターmasakuroyです!自分的にはつかみはバッチリって感じです。
    オッケーオッケーバッチこい!さてこれから高校生活最後の夏を迎える訳ですが高校生っぽい甘酸っぱい青春はなにひとつ経験しておらず「それでもやっぱ俺たちにはラグビーしかないじゃん!」という気持ちで胸が締め付けられる思いです。しかしいまの僕は肩の怪我でそのラグビーすらまともにできない状態。このもどかしさといったら・・「ワイは不器用や!ラグビー以外のことはなんにもできへん・・ていうかラグビー自体まともにできん・・それでもワイはラグビーが好きなんや!ワイには大阪人の血が流れとんねん!」って感じです。そう、僕は後で後悔したくない・・後悔だけはしたくないんだ・・こんな昔ばなしがあります。あるところに焼け焦げたスチールウールみたいな頭をした少年がおりました。•••。僕はこんなことにならないように引退まで精一杯頑張っていきたいとおもいます!支離滅裂な文章になってしまいましたがこれで僕の日記を終わらせていただきます。御精読ありがとうございました。」

    やばっww 17歳のおれ、今と全く変わってないやんww 成長皆無やん!!

    てかこの時のほうがイキイキしとるやんけ!!w 文章に力があるよ、力が!!

    過去の自分のダメさを断罪しようと思ったら、思いの他出来がよかったので、逆に「30歳を迎えようとする俺どうなってんの・・・?」という感じで逆にちょっと凹んでしまいました。

    やはり高校生の勢いというものは馬鹿にはできません。

    ついでなので、友人の日記リレーも紹介したいと思います。

    友人S 原文ママ(個人名は伏せ)

    「こんばんわ!最近、ひょうたんの栽培を本気でかんがえています。○○先生の「ひょうたんは女性そのものです!!」という言葉には少なからず衝撃をうけました。ひょうたんには、あの曲線、つや・・といい何か人を、とりこにするものがあるんでしょうね。Sです。ちなみにうちの庭は狭いので、masakuroy家の庭に植えてみます。ところで、ぼくはつい最近まで松葉づえ生活をしてました。まわりからは×××と罵られる日々・・・。朝から目の前に広がるあまりにもつらすぎる並木道・・・。満員電車にゆられ、杖を蹴っ飛ばしても知らんぷりをかますおやじたち・・・。松葉杖をついてる人を見つけると「お互い大変ですね」と思わずアイコンタクトをかわしてみたり・・・。毎日が冒険でした!そんな日々のなかでも、心温まる話がありました。
    あるひいつもどうり電車に乗っていると、僕の真後ろに・・「ポテトサラダッッ!ポテトサラダッッ!!う~ん?(←ちょっと悩んで)・・・・・マヨネーズッ!!!ポテトサラダ・・・・」と。半永久的に叫び続ける、ほんの少し変わった人がいましたと。ちょうど鷺沼あたりから叫びだしたその時、ぼくの心臓はわしづかみです(?)!!
    <次の日・・・>いつもどうり電車にのっていると、僕の真後ろに・・「サラダ油ッ!!サラダアブラッ!!サンタクロースッッ!!サラダ油っ・・・」あっ!!この人・・・。そう昨日の人だよ。ぼくは驚いたというかなんというか・・・。あっ、いってる言葉が違うな。・・う~ん・・・ものすごくツッコミタイ!!もうすんごくもどかしい・・あ・・もう!!みたいな感じでいると・・、あるおばさん(水前寺清子 激似)「うっせえーんだよこらぁぁー!!」
    うおっ!!! (実話)」

    とっても面白いですね! イキイキしていていい感じです!

    友人S2 原文ママ (個人名伏せ)

    「まずはじめに、応援して下さったみなさん本当にありがとうございました。
    そして、3年間ご指導くださった××先生をはじめ監督、コーチの方々にも感謝の気持ちで一杯です。
    △△でラグビーがしたいという一心で、■■高にもわざと落ち(嘘)、埼玉の片田舎から毎日2時間かけて通いながら頑張りました。みんなからは田舎田舎とバカにもされましたが今となっては良い思い出です。この3年間を振り返ってみると、本当によく怪我をしたなぁと思います。半分くらいはリハビリ生活を送っていた気がします。入部当初、今年の代は初心者ばかりだったので小学からの経験者だった自分はコーチの方々にも一目置いていただき、試合にも多く出させていただきました。しかし1年の終わり頃から首と腰の怪我に悩まされ、リハビリと復帰の繰り返しでした。最後のシーズン前に××先生に「お前には期待してたのに残念だ。」と言われた時、自分が情けなく、とても悔しかったです。

    ○○戦の後、僕は泣きました。それは試合に負けた悔しさではなく、最後にみんなと一緒にグランドにたてなかった、チームの力になれなかった自分が悔しかったから出た涙でした。試合後A(仮名)に、「最後に一緒にグランド立たせてあげられなくてゴメン。」と泣きながら言われた時は悔しくて申し訳なくて返す言葉も見当たりませんでした。
    この3年間を通していろいろなものを得ました。その中でも僕が自信を持って自慢できるのは一緒にやってきた22人の仲間です。最大のライバルであり最高の仲間であったこの22人を、僕はこれから先ずっと自分がラグビーをやってきた誇りとして、大切にしていきたいと思います!」

    いいこと書くね、S2くん! 感動!

    いかがだっただろうか。 自分の過去のみ晒すつもりが、間違えて他人のタイムカプセルも掘り起こしちゃいました、テヘッ♡

    Fin.

     

  • 東京タワー〜オカンとボクと時々弟(おと)ん〜

    東京タワー〜オカンとボクと時々弟(おと)ん〜

    意味なくサブウェイでOh Yeah! 意味なくIKEAでもOh Yeah! 意味なくヴィレヴァンで騒いでサブカル女子に賛辞Oh Yeah!(キュウソネコカミー「サブカル女子より」)

    どうも、masakuroyです。

    今日はまた家族の話をしたいと思う。

    僕のおかんは生粋の大阪人で、今でも家ではガンガン関西弁をしゃべりまくっている。

    お婆ちゃんや親戚と電話でしゃべっている時は、完全にタイガースファンで飴を配りたがる大阪のおばちゃんなんじゃないかと思う。

    大阪の実家は西成区の玉出という場所で、小さい頃からしょっちゅう行っていた。

    あのパチンコみたいに派手なスーパー「スーパー玉出」で有名な所だ。そういえばパチンコやる人にとっては玉出って縁起がいい地名だよね。

    大阪で親戚やいとこと過ごした時間、そんな環境で大阪独特の「ボケとツッコミ」文化の英才教育を受けていたのかもしれないと思うこともある。

    ある時、中学校の進路相談があった時に、先生に対しておかんが小ボケをかましたので、僕は反射的におかんの頭を軽くどついてしまった。 それを見て面食らった先生が「なんて暴力的な子なの!」と思ったことは想像に難くない。

     

    おかんは割と明るく社交的な性格であり、家族でいる時はそうでもないが初めて会う人と話す時などに若干ボケたがる傾向がある。

    前に僕の家に大学の友達が遊びにきたときの事だ。

    まずちょっと下品な話をすると、今はPC一台、下手すればスマホ一台あればどうとでもなる世界だが、当時はエロ本とか買っちゃったりした日には部屋に隠しとかなきゃいけないしで、物証が残りやすい時代だった。

    そして僕は当時机の一番下の大きい引き出しに大体エロ関係のものを保管しており、友達がたまたまそこを勝手に開けたのだった。

    友達「なんだこれー?? ●ァラポワがプリントアウトした紙がたくさん入ってるーー!!」

    僕「やめろやぁあああーーーーーーー!!!!」

    その時、間髪入れずおかんが「どないしてーーーーーーん!!!」と部屋に入り込んできたのだ。

    リアクションが早いな!! 僕は必死にその場をごまかした。保管場所を変えなくてはならないと思ったのは言うまでもない。

     

    そして友達が帰る時におかんが車を駅まで出してくれることになった。

    その時はちょうど春で、桜並木通りの桜もつぼみが開きかかってるような状態だった。

    その桜並木を通る時におかんが「見て〜この桜並木、桜が咲くととっても綺麗なのよ〜まるでお花畑のカーテンや〜」みたいなことを突然言い出したのだ。

    まるで彦摩呂の「うわぁー見てぇ〜まるで食の宝石箱や〜」を丸パクリしたような歯の浮いたセリフに、友達は車内で皆失笑していた。

     

    そんなおかんも今年で還暦を迎えた。

    これからも元気に小ボケをかまし続けてもらいたいものである。

     

    そしてマイブラザー・弟だ。 僕には3つ歳の離れた弟がいる。

    子供の時はとても仲が良かったのだが、思春期に入ったあたりから全然話さなくなり、今では直接話すことはほとんどなくなってしまった。

    今でも弟の近況はおかんを介して知っている。おかんというハブがなければコミュニケーションもロクに成り立たないのだ。

    なぜそこまでの状態になってしまったのか諸説あるが、一つには僕のほうが弟がちょっと怖くなってしまったのが理由だ。

    弟は子供のときからずっとチビで、背が低いほうだった。それが高校に上がってからぐんぐん伸びて180後半くらいまででかくなった。

    僕は本能的に自分よりでかいやつが怖いので、家の中ですれ違うときなど、心の中で「でか!!でっか!!やべぇまじでけぇ・・こ、こわいよぉ〜」と密かに思っていた。

    また弟はずっとサッカーをしていた事もあり、独特のサッカーノリというか、若干チャラい感じがなんとなく合わないと思っていた。家族なのに「こういうキャラのやつ俺絶対友達になれないわ・・・」とか思っちゃっていたのだ。

    だが最近は弟も年齢を重ねて落ち着いてきたのだと思う。そんな折たまたまおかんと電話で話してるときにこんなことを言われた。

     

    「○○(弟)は長く付き合ってる彼女がいて結婚も考えているけど、お兄ちゃんには彼女も予定もないからいいのかなって遠慮しちゃってるのよ・・」

     

     

    はぁああぁ!!?

    いやいや遠慮なんかする必要全然ないし!ww

    全然しちゃってくれよ!お兄ちゃんむしろ嬉しいよ!!(直接は言えない)

     

    また件のおかんの還暦祝いの時に、食事代を弟と僕で払う予定だったのだが、弟は気付いたらスマートに会計を済ませていたのだ。

    僕は半分払うよと伝えてくれとおかんに言ったのだが(弟に直接は言えない)、おかんはこう言った。

     

    「○○(弟)はお兄ちゃんいつも金ない金ない、って言って大変そうだから僕が払うことにするって言ってたわよ」

     

    なんてことだ・・・あまりにも金ないアピールをし過ぎてとうとう弟に同情されてしまうレベルにまで達してしまっていたのだ。 カッコわるww  さすがにメンツが立たなすぎるので半分お金を後で払った。(あくまで半分だけどね!)

     

    家族には色んな形がある。友達みたいに仲いい家族もいるし、僕のように連ドラのフローチャートがごとく関係性が入り組んでしまう家族もいる。

    しかし血の繋がった世界でたった一人の肉親である。 わかりあえないはずがない。

    そんな時、僕はわかりあえる事への希望をうたったU2のOneという曲をよく聞く。

     

    歳を重ねて行く中でもっと仲良くなれることを心から願って今日のブログを締めます。

     

    Fin.

  • 天国の口、終りの楽園〜メキシコ卒業旅行放浪記(7年前)〜

    天国の口、終りの楽園〜メキシコ卒業旅行放浪記(7年前)〜

    どうも、フロントドアの使い手、masakuroyです。

    ダルビッシュの怪我は残念ですね〜・・・・トミージョン手術受けなきゃいけないのかもしれないけど、早く完全復活してほしいな。

    さて、3月半ば、いまが何のシーズンかおわかりだろうか。

    基本的には人生で一回しかない楽しいもの、そう卒業旅行である。

    大学卒業が迫り社畜へのカウントダウンが始まる中、大学生に残された最後の現実逃避の機会、それが卒業旅行である。

    皆さんは卒業旅行はどちらへ行かれただろうか。・・私? 私はあれですよ。メキシコ。

    MEXICOと書いてメヒコですよ!

    サークルの仲間で卒業旅行に行く際、アメリカ組とメキシコ組があったのだが、この機会を逃すと二度と行くことがなさそうだったのでメキシコを選んだ。

    パッケージツアーではなく、我々は往復の航空券だけ買い、メキシコを陸路バスで移動する旅程にしたのだ。

    まず米アトランタ経由でメキシコのカンクンというビーチリゾートに降り立った我々。

    さすが北中米屈指のビーチリゾート、白い砂浜・透き通った青い海・まさに楽園である。

    カンクンの青い海・白い砂浜。 ※プライバシー保護の為顔は隠してあります

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    我々は6人で行ったのだが、その中に同期なのに高校アメリカ帰りで編入だのダブりだので優に2個は歳が上だったHさんという人がいた。

    飛行機の中でカメラを向けると唇に手をあてポーズをとったHさん。

    アメリカで流行ってたのかな? ※プライバシー保護のため顔は隠してあります。

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    この人は非常に強烈なキャラクターで、わかりやすく例えるならガキ使の笑っては行けない24hの月亭方正のような立ち位置だった。 メキシコの大衆食堂に入ってタコスを頼み、食べるやいなや急に泣き出し「お、、俺の青春の味なんだよ〜!」とか言い出し皆ドン引きする・・・と一事が万事そんな感じだった。

    空港でサングラスをかけておどけるH師匠 ※プライバシー保護の為画像加工

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    そんなHさんだが英語に加えてスペイン語も結構しゃべれたので役に立った・・、もといとても頼りになる存在だった。

    リゾートビーチで「神様はバリにいる」の成功者のごとくふるまうH氏

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    一泊した日本人のヨシダさんが経営するモーテル、カーサヨシダで記念の一枚をパチリ。

    この時はスマホなんていう便利なものはなかったのだ。(7年前?)

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    ちなみにこの時膝に手をついているTは、シーズン最後のラグビーの試合(我々はラグビーサークルだった)で足首を複雑骨折し、ギリギリ歩けたような状態だった。空港の金属探知機で足首に埋め込んだボルトが反応しないかドキドキ;やばお;

    我々はカンクンからバスで南下をし、ティオティワカン、パレンケ、チチェンイツァーというジャングルの中の壮麗で神秘的な遺跡群を堪能した。

    チチェンイツァー遺跡にテンションがあがるH師匠。

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    この写真最高。ポンチョを羽織ってまるでガウチョ気分でした。

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    遺跡群を見下ろす高台から。仲の良い足ボルトなる異名を持つTとピンクのポロシャツが素敵なH師匠。

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    チチェンイツァーだよ! 全員集合!

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    ティオティワカンの”死者の道から”。 今で言うセルフィーですな。

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    メリダという街で二組に別れて自由行動。 我々はフラメンゴが見れるというセレスティン国立公園へ。

    国立公園内でT、慣れない環境に体が変調をきたしたのか謎の眼充血(おそらく結膜炎)

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    セレスティン公園の売店にいたメキシコの子供達。 色づかいがもはやラテン。※プライバシー保護の為顔は隠してます

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    ホテルでメキシコプロレス「ルチョリブレ」のマスクをかぶっておどけるH師匠。

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    メキシコシティーにいた子供。眼が綺麗でとってもかわいかったの! もしかしたら将来のハビエル・エルナンデスだったかもしれぬ・・・

    ※プライバシー保護のため顔は隠してあります

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    メキシコシティー治安悪そうでめっちゃ怖かったわ・・あ〜でもタコス本当にうまかった〜またあのタコスが食べたい・・・・

    旅行の帰路、トランジットの米アトランタの空港内で旅の疲れをいやすようにマッサージチェアに座るH師匠。

    なんともいえない至福の表情。

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    在りし日の旅の思い出をふりかえるのはとても楽しい時間である。

    あなたも是非、時にはゆっくりと旅の思い出を棚卸してはどうだろうか?

    メキシコに旅行なんて行けないけど、メキシコを旅行してる気分を味わいたい!そんなあなたにおすすめの映画がある。

    メキシコを代表する俳優、ガエル・ガルシア・ベルナルとディエゴ・ルナが若き日にダブル主演した「天国の口、終りの楽園」というロードムービーである。 高校を卒業したばかりの二人の少年と、どこか影がある若い人妻がメキシコ国内をドライブしながら伝説のビーチ「天国の口」を目指すというストーリー。 綺麗で色気のある人妻と、二人の少年が一緒にロードトリップしたら何が起こるか皆さん想像つきますよね・・・まぁそっちも?!って展開も起こるんですけどね。芸術ではなく性は爆発だー!!と言わんばかりの青春ムービーです(めっちゃくちゃいい映画ですよ)

    Fin.

  • マリッジ 〜結婚とはどんなものかしら〜

    マリッジ 〜結婚とはどんなものかしら〜

    皆さんこんばんは。

    子供のとき動物園でペリカンに頭をかじられて号泣した事のあるmasakuroyです。

    あいつらめっちゃ怖いですよ。くちばしがものっすごい広がりますからね。頭丸ごと食われかけましたから。鳥は舐めちゃいけませんZE。

    さて、今日は「結婚」ということに関して書いていきたいと思う。

    男にとって30歳とはある意味結婚の適齢期であるように思う。

    現に仲の良い友達が何人か今年結婚した、あるいはする。 僕の父も結婚したのは30歳のときだと聞いている。

    ある程度経験を重ねて落ち着いてきて、仕事をこれからバリバリこなす時期に身を固めるというのはとても自然な選択肢のように思える。

    鯉のプリンス堂林は若いけど結婚したしな。偉いよ。

    クソッ、俺が好きだった枡田ちゃんと結婚しやがって・・・・う、羨ましいよ〜〜(震泣)

    僕も上司からよく「masakuroy、、お前早く結婚したほうがいいぞ」と言われる。

    僕「まじっスか!? なんでっスか!?」

    上司「歳とってから子供できるとなぁ・・マジで辛いぞ・・・お前40で子供できたら、子供成人するとき60だぞ・・? 子供の運動会があったとき、走れなくなってるよ」みたいな事言われた。

    まぁたしかにそうなのかもしれないけど、、そこまで言われてもイマイチリアルではない。

    今結婚をしない人なんてゴロゴロいるし、個人の選択肢ではないか・・・・

    お一人サマという言葉がマーケティング用語になっている時代だし。・・・お一人サマだって全然マイノリティやないで。・・・むしろ連帯感強いで。

    たしかに子供が欲しいなら早く結婚するに越したことはないが、子供が欲しくないなら別に結婚しなくてもいいではないか。

    結婚してセックスレスに陥り、関係が破綻して経済的・精神的にもボロボロになって離婚するくらいなら、最初からしないほうがいいではないか!

    しかしいくつになっても仲いい夫婦もいるし、割り切ってる仮面夫婦もいるし、「おめーの泣きっ面なんて犬も食わねーよ、カーッ、ペッ!!」といって関係に終止符を打つ夫婦もいる。

    これは結婚生活をはじめる前にわからないものだろうか・・?

    小さな性格の不一致やすれ違いがやがて大きなものになり、修復不可能なものになってしまうのだろうか・・・?

    何年にも及ぶ結婚生活の末に何も残らなかったら、悲劇以外の何ものでもないではないか・・・・

    僕だって親友と四六時中ずっと一緒に生活しろと言われても、そのうち息が詰まってもう勘弁となるかもしれない。 ただでさえ難しい男女間なのだから上手く行かない事があるのは当然だ。

    夫婦生活をあらゆる観点からビックデータで分析して、結婚生活が破綻しないように定点観測的にコンサルティングするビジネスって結構需要あんじゃないの? ・・・もうあるか。

    僕は結婚って色んな形があっていいと思ってるんですよね。週末婚とか別居婚とかね。(金がないとできないか・・・)

    そんな中、僕の思っていた疑問を題材にいま素晴らしいドラマが放送されている。

    杏・長谷川博己主演の「デート 〜恋とはどんなものかしら〜」だ。

    オーソドックスな月9など全く興味をそそられないが、これはほんと全話見ておけばよかったと思った(2話と8話しか見てない)。

    杏演じる主人公・薮下依子は東大大学院卒の国家公務員で30歳になるまでに結婚したいと思ってるんだけど、あくまで結婚は契約でありそこに恋愛感情は要らないと考える超合理主義者で尋常ではない堅物なんだわ。

    女子の間で「アヒル口」が流行ってるから、これをやれば男は嬉しいと間に受けて超絶不器用なアヒル口(クソウケる)をやってみたり、遊園地に行くのに「あちこち動き回ることが想定されるから」と登山に行くようなフル装備でデートに現れたりとやること成すこと変でマジ笑える。(しかし杏って魅力的な女優さんになったね・・・スタイルいいし演技うまいし・・好きです♡)

    一方長谷川博己演じる谷口巧は「昭和初期には高等な教育を受けながら職につかず、教養を深める”高等遊民”という存在が社会的に認められていたんだ!」というセリフが口癖の筋金入りのニート・実家パラサイトである。(このドラマ見て長谷川博己演技うまくてかっこいいな〜と思った。そりゃこんな魅力的なやついたらモテるわ)

    巧は巧で遊園地に行くやいなや人ごみに酔って「僕はこんな民度が低そうな子供がいる場所はきらいなんだ!!」と豪語したり、「僕は出歩かないし金はかからない!DVDと本を買う金だけあればいい!掃除洗濯料理や育児などの家事は僕にまかせて安心して外で稼いできてくれ!! 僕には寄生する対象が必要なんだ!!母親が体調を崩したら僕はどうすればいいんだ!」と必死にまくしたてる様子が相当に滑稽である。(真人間である中島裕翔演じる鷲尾の「だから働けばいいだろ!」という至極全うなツッコミがまた面白い)

    しかし昔は結婚するのが当たり前で、適齢になったらお見合いして結婚して〜…って定石な社会システムが破綻し、「結婚するかしないかはあくまで個人の自由である」という現代において、このドラマは常識的な価値観に一石を投じる素晴らしい作品だと思う。めちゃくちゃ笑えるし。

    ドラマはいよいよクライマックスへと突入する。 自分が本当にしたいのは結婚ではなく恋だと気付いた依子が巧と婚約破棄して鷲尾に交際を申し込み、巧はずっと巧に横恋慕していた佳織から「拾ってやるよ」と言われてまんざらでもなかったりで、なによりも結婚が唯一の目的だった二人が不必要だと思っていた恋をするとどうなるか?という展開が描かれる気がする。 今後ドラマがどういった形で終幕を迎えるのか楽しみでならない。

    最後に結婚に関する面白いウェブ記事リンクのせときます。 このシリーズまじ大好き。

    「結婚って本当にメリットがないの!? 老夫婦に結婚して良かったことを聞いてみた」

    あとこれも。身につまされるわ

    「53歳独身だけどやる事なくて辛い」…中年男性のブログが大反響

     

     

     

  • カッコーの巣の上で

    カッコーの巣の上で

    僕は幼い頃、演技に定評があった。

    絵をひたすら書いたり、表現活動が旺盛だった僕は誰かに「なりきる」という事にも強い関心をしめしていた。

    小学生のときゴジラの映画が大好きで、お爺ちゃんと映画館に見に行って外に出てくるともうまんまゴジラだった。 ひたすらギャオオーンと吠えまくり放射火炎をはいてはお爺ちゃんを焼く。そんな真似を何時間も繰り返す。 相当めんどくさいガキだっただろう。

    小学一年生のときクラスの学芸会で「おたまじゃくしの101ちゃん」をやったのだが僕の役は「ザリガニの親分」だった。 その劇の悪役ラスボス的な役どころである。

    「わ〜っはっはっは、今夜はカエルとオタマジャクシの親子丼だぁ〜っ わ〜っはっは!!」

    僕はこの台詞を小学一年生とは思えないドスの効いたダミ声で言い切ったのだ。

    誰にも教わることなくデニーロ・アプローチを習得していた僕の演技は会場の度肝を抜いたらしく、わざわざ劇が終わってから一人だけ舞台の上に上げさせられ、校長先生に

    「きみ、さっきのセリフをもう一回言ってくれんかね!」といわれたくらいだったのだ。

    (本来はにかみ屋さんで生粋のシャイボーイであった当時の僕は演技のスイッチが切れると照れてしまい、結局セリフをいえなかった)

    その時から学校きっての演技派として鳴らしていた僕は、5年生の頃の学芸会で「おとぼけ村物語」の演技オーディションにのぞんだ。

    「ごんざぶろう」という役があり、「さぁー今日こそお役人さんにはっきりさせてもらうだ!」というセリフをいう役なのだが、いかにも見た目が「ごんざぶろう」っぽいやつがいたのだ。

    しかし、僕はセリフの臨場感と演技のうまさで「ごんざぶろう」役を勝ち取った。

    「う〜ん、見た目がハマってる●田をとるか演技力のmasakuroyをとるか・・・悩ましいな〜」

    蜷川幸雄ばりの演出へのこだわりを見せた担任先生の苦悶の表情が忘れられない。

    そして6年生に上がる前の春休み、僕は引越すことになり、住んでいた町田から横浜に移り住んだ。

    田舎っぽさが残る町田の郊外から都会の横浜に越してきた僕はカルチャーショックを受けた。

    引越してきた当日に教室の前でいきなりケンカをはじめるやつはいるわ、クラスの半分以上が中学受験するわで、僕は軽く挫折感を覚えた。

    「町田育ちの俺はこの横浜では通用しないのか・・・・クソッ! だけど俺には演技がある、演技だけは誰にも負けない!」

    しかしそんな演技を披露する場は小学6年生では訪れなかった。

    僕は中学校に進学し、共通の友達を介して知り合った家が近所のTと一緒に登校するようになった。

    Tはそんな目立ちたがり屋ではなく、どちらかというと大人しい印象だった。

    そんなTだが、なぜかあだ名は「ボス」だった。

    こいつはそんなに権力を持っているのか?・・・僕は少しだけ戦慄を覚えた。

    秋になり文化祭のシーズンがやってきた。

    自分のクラスは何をやったか全く覚えていない。小学生のときは覚えているのに、中学生の時を覚えていないというのは、まあ大したことやってなかったからだろう。僕は隣のクラスが映画を撮影したというので見に行った。

    そして映像が流れた瞬間僕は目を疑った。 なんとその映画に主演していたのは毎朝一緒に登校していたTだったのである。 しかもいじめを苦に自殺未遂をする中学生というなんとも難しい役どころだったのだ。 僕はその渾身の演技に目をうばわれた。

    「負けた・・・・こいつの演技には勝てない・・・」

    こうして演技をすっぱり諦めた僕は中3の文化祭では潔く裏方の大道具に回り、筋肉むきむきの彫刻の絵を書いていた。

    この時、ちがうクラスだったTはまたしても劇の主役を努めていたのだ。

    しかも今度はファンタジー色が強い劇で、ヒロインを抱きしめるという中学生にとっては恥ずかしく、難しいシーンも体当たりで見事に演じ切っていたのだ。

     

    そうして時は流れ僕は大学に入学した。 色んなことにチャレンジしたいと思っていた僕は友達Sを連れて「未来のスターを探せ!原石発掘オーディション」的なものに行く事にした。

    そこではNYへの転勤が決まり、彼女と痴話げんかをしたあげくNYに着いてきてくれと頼む男を演じる一幕をやった。

    狩野英孝ばりのキザな感じで「俺と一緒にNYに来てくれないか?」という決め台詞を放ち、簡単な自己紹介だけしてオーディションは終了した。

    その1週間後くらいに、「オーディションに合格した」という連絡が入ったのだ。

    演技のレッスンを受けながらドラマ出演を目指すということだったが、受けたことだけで満足した僕はその合格を辞退して、いつものバイト生活に戻っていった。

    しかしまた機会があれば、「ザリガニの親分」ばりの演技をやってみたいと密かに考えている。

    Fin.

     

     

  • ビバ・ラ・レヴォリューション

    ビバ・ラ・レヴォリューション

    ※このブログには一部不適切と思われる記述があります。 不快な気分になられる方がおりましたら申し訳ございません。 小学生以下の児童の閲覧は推奨されません。

     

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    前回のブログで僕はひとり上手(むしろひとりにならざるをえない)であるという話をしたが、学生時代にはひとり語学研修に行った。

    大学に入った当初は高い意識を持っており、大学では英語を勉強しよう!と思っていた。

    語学は少人数のディスカッションクラスをとっていたし、必修以外の授業もとったりしていた。

    なぜかロシア語の授業をとるという迷走を見せたが我にかえり、期末テスト前に離脱した。

    また中国語の必修以外の授業もとっていたがなんとそのクラスは2人しか履修していなかった。

    僕ともうひとりは女の子だった。

    広いクラスにふたりっきり、そんなこれ以上ないおいしいシチュエーションだったにもかかわらず僕はその子に一度も話しかけなかった。 本当に当時の自分の度を超したコミュ障(当時はこんな言葉はなかった)ぷりを呪った。

    語学クラスは今思えばパラダイスだった。少人数だし打ち上げとかがあれば自然と女子とも仲良くなれるではないか!

    しかしあろうことは僕は履修していた英語ディスカッションクラスの最終授業を終えた後、教授(アメリカ人)主催の打ち上げパーティに参加しなかったのだ。

    理由は今もってしても不明である。バイトとか予定はなかったはずだが要はコミュ障だったのだ。

    その後、大部屋の授業で同じディスカッションクラスをとってたやつ(打ち上げに行ったと思われる)がそのクラスで一番可愛かった女の子(当然打ち上げに行ったと思われる)と楽しそうに話してるのを見ておもわず歯がみしたものだ。

    く、くそーーっ!! 俺も打ち上げさえ出てりゃあ・・・打ち上げさえ出てりゃあーーー!!

     

    前置きが長くなったが、語学習得の意欲は高かったのと、学生時代しか出来ないことを積極的にやろう!と思っていたので春休み・夏休み等の長期休暇を利用して、せっせとバイトして貯めた金と奨学金(と親に借りた金)を使って1ヶ月ひとりで語学研修にいったのだ。

    大学1年の春にカナダに1ヶ月行き、コツをつかんだ僕は大都会に行きたい!と思ったのとロック好きの影響からイギリス文化に興味を持っていたので、ロンドンに一ヶ月ホームステイして語学学校に通う事にしたのだ。

    そのうちエージェンシーから来たホームステイ先の家族情報を見て僕は目を疑った。

    名字がBuchananと書いてあった。

    え・・・?これなんて読むの?何人? どこから来た人?

    などと大変失礼な感想を持っていたのだが(僕も人のこと言えた名字じゃない)、調べてみると スコットランド起源の伝統的な名字だったので安心した。

    このご家族はシングルマザーと娘と犬という家族構成だった。

    カナダの時のホストファミリーが結構ビジネスライク(笑)でちょっと残念だった想いがあったのだが、このブキャナンさん家族は本当にあたたかくよくしてくれた。

    母親アンヌさん(仮名)は面倒見のいい肝っ玉母さんという感じで、よく笑い話す人だった。元々はフランスの生まれで移住してきたらしかったが、もしかしたら名字だけは旦那さんの旧姓を使っていたのかもしれない。

    そして娘エマ(仮名)ちゃんは15歳で中学3年生くらいだったけどとびきり可愛かったんだわ。もうこの世の奇跡かと思うくらいの美しさで早速惚れちゃいましてね。テイラー・スウィフトをもっと優しそうな顔にして若干幼さの残る感じでしたね。ひとつ屋根の下だよ。そりゃ惚れちゃうよね。(当時僕も20歳だったし、外人は大人っぽいから決してヤバくはなかった・・・はず。・・・何もしてませんよ!)

    僕はおそらくいつも留学生が使っていると思われる一室をあてがわれた。

    長旅で持ってきた荷物の荷解きをしている時にいきなりケータイ(当時僕はボーダフォンのPANTONEの真っ青な色のやつを使っていて、ドラえフォンと呼ばれていた。どうでもいいね)が鳴った。

    それは同じサークルの友人Sからだった。

    彼には海外に一ヶ月滞在することも伝えていたし、わざわざ国際電話でかけてくるなんてよっぽどの事があったのか?と思い僕はすぐに電話に出た。

    「もしもし? いま俺ロンドンだよ! どうしたの?」

     

    「おお・・・masakuroyか、・・・俺、・・留年したわww」

     

    どうやら日本では進級発表の通知書が届いたらしかった。

    その通知に「原級」と書いてあり意味がわからなかったSは調べてみた結果どうやら留年らしいという事を知ったようだった。

    僕は彼を気の毒に思った。やり場のない思いをどこかにぶつけたかったのかもしれない。

    ただ、ロンドンに降り立ちホストファミリーに挨拶をし、緊張のピークだった当時の僕にとってその情報はその時あまり重要ではなかった。僕は静かに通話終了ボタンを押しドラえフォンを机に置いた。

    語学研修中の思い出は挙げればキリがない。 学校の授業、ハンガリー人・イラン人・同じ日本人の友達との交流、 学校の先生がやってたロックバンドのライブ、フィッシュ&チップス、街角のパブ、ワンパイントのギネスビール、ピカデリーサーカス、切り裂きジャックナイトツアー、ロンドン塔、ロンドンブリッジ、ウィンザー城、オックスフォード大学、エディンバラ旧市街、アビーロードスタジオ・・・あげればキリがない。

    そして僕は先生に頼んで授業を2日ほど欠席させてもらい、ユーロスターを使ってヨーロッパ周遊に行った。 パリ→ブリュッセル→ケルンと回るルートだった。

    その旅行は楽しいものになるはずだった。

    しかし、僕は花の都・パリで大きな過ちを犯してしまったのだ。

    *********************************************

     

    パリに来たら僕は絶対に行きたい場所があった。 それはルーブル美術館だ。

    ミロのヴィーナス、ダヴィンチのモナリザ、スポーツブランドNIKEの由来になったサモトラケのニケ像という最高峰の価値を持つ美術品が収蔵されている世界で一番有名な美術館だ。

    僕は美しい絵画・銅像、膨大な数の作品群と館内の広さ、また古代文明遺跡から持ち込まれた貴重な遺品の数々を見て圧倒された。

    僕はまばゆいばかりの美を堪能し、またギャラリーの美しい女性達にも魅了されたのか、少しばかり正気を失ってしまったらしかった。

    なぜ僕がその時そんな行動に出たのか全くわからない。今考えても理解できないのだが、僕はルーブル美術館のトイレの個室で●ナニ●をしようとしてしまったのだ。

    ルーブル美術館のトイレの個室でだ。 実家のトイレや百歩譲って居酒屋のトイレなどでもない。

    ルーブル美術館の個室トイレでだ。

    よく遺跡に落書きをしてニュースになる人がいるが、そんな比ではない。

    全ての美術・芸術に対する冒涜とも受け取られかねない行動である。インターポールが動くレベルだ。

    ある意味フランス革命である。

     

    大天使ミカエルが頭上に光臨し、意識が薄らいできていた(イキそうになっていた)時、トイレに人が入ってきた。

    若い男が用を足しながら談笑しているのを聞いて疑心暗鬼になった僕は「おいトニー、なんか海鮮臭くねぇか? 誰か個室で●ナニ●してるやつでもいるんじゃねぇか?ww ププーwww」

    とでも言っているのでないかと恐れおののいた。

    「昨日、フランスのルーブル美術館で日本人の大学生(20)がトイレで淫らな行動におよんだとし、パリ警察当局に身柄を拘束されました・・・」というニューステロップの映像が頭をよぎり、僕はすんでの所で思いとどまった。

     

    *************************************

    僕は何食わぬ顔をしてルーブル美術館を後にした。

    ルーブルにはあの有名なドラクロワの「民衆を導く自由の女神」が飾られている。

    胸のはだけた女性がフランスの国旗を持ちながら、革命の徒を先導する絵だ。

    僕はあの時、あの絵の中の革命を志す民衆のひとりだったのだ。

    いわゆる一つの革命を起こしてしまうところだった。

    本当に思いとどまってよかったと思っている。

    理想(使用済みトイペ)のために無駄な血(水)を流す必要などなかったのだ。

    こうして僕はパリの美しい風景を心に刻み込んで、次の目的地へ向かう列車に乗り込んだのだった。

     

    ※本当にすいませんでした 下品きわまりない話で本当に申し訳ありません

    要は何もやっていませんという話です

    ルーブル美術館は素晴らしかったです。またいつか必ず見に行きたいと思います。

    Fin

     

     

     

  • おもひでぽろぽろ

    おもひでぽろぽろ

    家族の僕から見ても、父は変わった人だと思う。

    離れて暮らす今は長期の休みくらいしか会わないし、しかもそんなに話す訳でもない。

    意固地で頑固、ある意味昭和のオヤジのステレオタイプな感じはあったかもしれない。

    父変わってるエピソードを挙げていこう。

    まず機械オンチであった。しかもオンチなだけならいいが、わからないと機械に当りだす。

    「なんだこれはぁ!!」

    いや、なんだこれはじゃないよ、父さん・・・ビデオデッキだよ。

    家電に当たり散らす父をなだめて説明書を見ながら配線をするのは僕の役目だった。

    たしかに昔のビデオデッキの配線とか複雑だったし説明書もわかりづらかったけどさ・・・ビデオデッキにいくら怒鳴っても何も解決しないよ・・・

    そしてやたら動物・自然が好きであった。

    父はコンクリートジャングルの企業戦士として日夜働き、癒しを自然界で悠々と生きる動物達の中に見いだしたのかもしれなかった。

    自然や動物のドキュメンタリーを(僕が配線した)ビデオに録画してはしょっちゅう見ていた。

    特に柳生博さんがナレーションを担当していた「生きもの地球紀行」は父のお気に入りだった。

    町田でマンションに住んでいた時は平日夜でも父と弟と三人で蛍光灯に群がる昆虫を捕獲しにいった。 当時10階に住んでいたので10階から一階ずつ降りていって昆虫を捕まえていくのだ。

    夜中に蛍光灯に群がる昆虫なんてろくなのがいない。多分蛾とかカナブンとか?何を目当てにしてたのか記憶にないがやたらそれが楽しみだった。 そして昆虫採集を一番楽しみにしていたのが父だった。

    今でも記憶に鮮明に刻まれている出来事はある夏の夜に起こった。

    父に連れられて夏祭りの縁日に出掛けたのだ。 商店街にたくさんの夜店が出店していてその中に夏の風物詩とも言えるものがあった。

    そう、「金魚すくい」だ。

    「おっ、masakuroy、金魚すくいがあるぞ! よし父さんがたくさんとってやるぞ〜」

    そういって父は網と器を持って金魚すくいを始めた。

    順調に父は金魚をすくい挙げていき、上機嫌だった。 「ほら見ろmasakuroy、たくさんとれるぞ〜!ハハハ」

    その時出店のお兄さんがいった。 「金魚はひとり3匹まででお願いしまーす」

    父の動きがぴたりととまり、お兄さんを凝視して「なんで・・?」と小さな声でいった。

    その直後、周りの人が飛び上がるような大声で「なんでーーーーー!!!!」と叫びだしたのだ。

    僕は父がなぜそんなに怒りだしたのかわからなかった。金魚が3匹しか捕れないことに何の問題があるのか10歳やそこらの僕の脳みそでは理解するのは難しかった。・・・・・いや、今でもわからないわ。

    「どうしたの!?お父さん!! 僕そんなに金魚ほしくないよ!!」僕はほぼ泣きそうだった。

    楽しい夏祭りを変な雰囲気にし、我々はその場を立ち去ったのは言うまでもない。

    父は電話の取り次ぎもなんかおかしかった。 昔は携帯が普及してなかったので、友達から家電に電話がかかってきてたのだが、土日に父が電話に出るといきなり「masakuroyーーー!!!」と大声で叫びだすのだ。しかも声に迫力があって怖い。

    いや、そんな大声じゃなくても聞こえるよ! てか保留押せよ!! 友達驚くだろが!!

    ・・と常々思っていたものだ。

    そのうち僕も大学生となり、父の本棚から勝手に本を拝借しては読んだりしていた。

    「カラマーゾフの兄弟」や「戦争と平和」などの名作を取り出しては読みふけったりしていたものだ。

    ある日いつものように父の本棚から本を探していると経済書や名作小説に交じって一冊表紙カバーが裏返してある本があった。

    「ん?・・・なんだこれ」 おもむろにカバーをとってみた。

     

    岩谷テンホーの「みこすり半劇場」だった。

     

    ・・・岩谷テンホーかよ!! つか中途半端にカバー裏返して隠したりすんなよ!! 逆に恥ずかしいわ!!

    その後ちょっと読んだ後そっとカバーを裏返し本棚に元通りに戻したのであった。

     

    父との心温まるエピソードには枚挙にいとまがない。

    そんな僕も徐々に当時の父の年齢に近づきつつある。

    父は変ではあったが、真っすぐで不器用な性格でもあったのかもしれない。

    よく子供と遊び、面倒もみてくれたし休みはご飯も作ってくれたりしていた。

    自分が将来そんな父親になれるかと思うと、自信もないし何より全く家庭を持つ予定もない。

    世の中のお父さんは偉大だし、頑張っているなぁと思う。

    いつか父と酒でも飲みながらこんな昔の話をしてみたいものだ。

     

     

     

     

     

     

     

  • グレートギャッツビー

    グレートギャッツビー

    今日は接待だった。

    さっきようやく終わって帰ってきた・・・

    接待って疲れますよね・・・

    最近変わらなきゃなぁと思うことが多い。

    というのも3ヶ月後には30歳になるからだ。

    20代で甘えが許される訳ではないけど、どこか「まだ若い」という部分で甘えがあったと思う。

    それが30代になって20代とスタンスが変わらなかったら非常に恥ずかしいんじゃないかと感じることがある。

    30って立派な大人だし、子供みたいな事を言っている年齢じゃないし。

    30代にふさわしい大人のたしなみも身につけたいし、30である事を積極的に楽しみたい。

    30代をどう過ごすかでその後の人生の充実度が変わってくる気がする。

    自分の弱い部分から目を背けて逃げたくなる事もあるけど、目の前の難題にも正面から向き合って「やってやるわ」とかもがいて突っ走る方がかっこいい大人になれる気がする・・・とか言ってみたり・・・

    有吉さんみたいにどん底でチャンスを窺って、もがき続けて40前でブレイクスルーするとか、めっちゃ格好いいですね。憧れる。

    30歳という年齢を考える時に、大学の時に読んだ小説がなぜかいつも頭に浮かんでくる。

    グレートギャッツビーという小説だ。 内容あんまり覚えてないんだけど、小説のラストに主人公がアメリカのセレブ的社交生活に疲れて砂浜で座りながら「今日僕は30歳になった。青春が終わったのだ。」とかなんとかつぶやくシーンがずっと頭の中に残っているのだ。

    「三十歳-それが約束するのはこれからの孤独な十年間だ。交際する独身の友人の リストは短いものになっていくだろう。情熱を詰めた書類鞄は次第に薄くなり、髪 だって乏しくなっていくだろう」

    村上春樹も訳をしているし、30歳を前にもう一度読み直してみたいな。

     

  • 東京に戻りたい

    転勤で名古屋に来てもうすぐ丸四年。 5月には5年目を迎える。

    思えば4年も経ったのかという気もするし、すっかり名古屋は第二の故郷だと言える。

    名古屋に来て感じた名古屋のいい所をざっと上げてみる。

    ①道路が広い

    ②人が多すぎない

    ③だいたい栄・名駅に出ればなんでも揃う

    ④家賃が安い

    ⑤郊外に足を伸ばせば自然がたくさん

    三大都市圏だし、都会と田舎のバランスがちょうどよく、居心地がすごいいい。

    東京もそんなに遠くないし、関西も近い。

    だが、しかし。

    もう丸四年もいるからそろそろ東京に戻りたいのが本音だ。

    特に年末年始に実家に長く帰省すると東京に戻りたい思いは強くなる。

    東京(っつうか横浜だけど)はやはり自分の故郷だし、生まれ育った場所には帰りたいのだ。

    やはり名古屋での僕は所詮よそものに過ぎないし、完全な名古屋人にはなれないのだ。

    東京は楽しくておシャンティな場所がたくさんある。

    渋谷・目黒・三茶・下北沢・六本木・新宿・二子玉… 楽しい所がありすぎるし東京にいれば色んな楽しいチャンスが転がり込んでくる気がする。 夢があるのだ。

    東京に戻って、どこに住もうか考えるだけでワクワクする。

    中央線沿いの阿佐ヶ谷とか高円寺とかでもいいな・・・市ヶ谷とか牛込柳町あたりでもいい・・・

    妄想すれば夢は広がる。

    こうして東京カムバックを画策している僕であった。

    最近面白い本を読んだので紹介する。

    「地方消滅」という本だ。

    自治体の消滅、人口急減社会への警鐘をならした本だ。

    東京では出生率が低く、地方は高いから地方が衰えると東京に人口を供給することができなくなり、将来的には東京の衰退につながる。。。みたいな内容が書いてあった気がする。

    人口急減を食い止めるために地方中核都市に若年層をつなぎとめる仕組みが必要だと書いてあった。小泉進次郎氏の対談も載っていて興味深い。

    でも・・・東京の出生率を上げる仕組み・体制を作ればいいんじゃないの?とも思ってみたり・・・まぁいずれにせよそろそろ東京に戻りたいわけです。

    ではおやすみなさい。

     

     

  • サプール

    サプール

    今日会社から帰ってきてテレビをつけたら、サプールを紹介する番組がやっていた。

    サプールとはコンゴ民主共和国の伝統文化みたいなものらしい。

    日本でいったら歌舞伎者みたいなものか。

    男達は少ない給料の中から大枚をはらってブランド服を買い、着こなし町を我がもの顔で練り歩くらしい。

    土だらけの未舗装のアフリカらしい道に、驚くばかりにスタイリッシュでオシャレな奴らが闊歩している。

    しかしアフリカの男たちがスタイルがいいからスーツがよく似合う。かつ色彩感覚が独特だから、日本人では絶対着こなせない色のスーツを悠然と着こなす。

    サプールは座るときも必ず足を組み、友達が隣にいてもしばらく気付かないふりをしてひたすら自分の靴に見とれるふりをするらしい。

    サプールはセンスいい洋服を着こなし、その洋服に見合った態度を身につけることで、愛や平和を表現するらしい。 暴力や戦争をこのまず、洋服のセンスをひたすら競い合うのだ。

    こんな人達ほんとうにいるのかと眼からウロコだった。

    しかし心底格好よかった。 世界は広い。

    俺もいいスーツ買ってかっこつけたい。 アフリカにちょっと行ってみたくなった。